ひとり旅の達人 > あなたに提案する旅 > ひとり旅いろいろ[海外編] > わたしの海外ひとり旅

わたしの海外ひとり旅

■■意外とひとり旅は少ない
● 商社マン時代はもっぱら出張

わたしは商社で海外営業を長年担当していたので、南極以外の大陸には足跡を印しています。
海外駐在も、4カ国で計15年弱経験しました。

それでも、海外でのひとり旅は、そんなに経験していません。中高年になってから始めたひとり旅でも、まだ海外にまで、足を延ばしていません。

わたしの海外旅行の多くが、サラリーマン時代の出張でした。ひとりで出張する場合もありましたが、目的地では、取引先や現地の駐在員などと行動を共にするので、純然たるひとり旅とは言えませんでした。

● 初めての海外出張は、ひとり旅だった

最初に海外出張をしたのは1973年で、エジプト、スーダン、エチオピア、そしてギリシャに行きました。26歳のときでした。移動はひとり旅で、大変心細かったのを覚えています。

当時はまだ羽田発で、今は亡きパンナム航空の南回り世界一周便に乗り、香港、バンコク、ニューデリー、カラチ経由で、ベイルートまで飛びました。各寄航地ではいちいち空港待合室に移動するので、寝ている暇はありませんでした。

最初の寄航地香港空港でトイレに入ろうとしたら、入口にヘンな小僧が立っていて、チップを要求されました。生憎小銭がなかったので、トイレを諦めました。そのとき、「海外旅行は厄介なものだ」と思った覚えがあります。

乗り換え地のベイルートで、トランジットの方法がわからず、空港内を右往左往しているうちに、汗びっしょりになりました。それでも、カイロ行きの搭乗券をようやく入手し、空港ビルのテラスから青い地中海を見たとき、それだけで世界をものにした気分になりました。

カイロ空港では、出発地で預けたカバンが、なかなか出てきません。雑踏極まった空港内で、わたしの不安も極まっていました。ようやくベルトコンベヤー上にひっくり返った自分のカバンを見つけて駆け寄ったら、ローラーが一つなくなっていました。重いカバンを引きずりながら人ごみをかき分け、空港の外に出ました。車に乗れと勧める、大勢の人に囲まれて立ち往生。出迎えてくれた現地駐在のMさんの顔を見たときは、地獄で仏に出会った気持ちでした。

■■海外駐在員時代にしたひとり旅

海外駐在地では、最後のインド以外は、家族と一緒でした。最初に駐在したアフリカのナイジェリアのときは、長い休暇がとれました。そのときは妻と二人で、ヨーロッパ周遊や、ケニアへのサファリ旅行をしました。次に駐在したポルトガルでは、幼い長男を連れて、ヨーロッパ各地を旅行しました。

● アメリカでの思いがけないひとり旅

海外で初めてひとり旅をしたのは、3度目のアメリカ駐在のときでした。アメリカでは子供二人となり、家族旅行が中心でしたが、5年間いた一度だけ、夏休みに家族を日本に返し、わたしひとりアメリカに残りました。そして、ひとり旅のチャンスが生まれたのです。あれは、1988年だったと思います。

わたしが駐在していたサンフランシスコからワシントン州のスポケーンに飛び、そこでレンタカーを借りて、ロッキー山脈一帯を走り回りました。戻りのフライトだけ決め、後は気分と風任せ、5泊6日の自由な旅でした。

初日が土曜日で、モーテルはどこも満杯。国境を越えたカナダ・アルバータ州の山中で、ようやく空いているモーテルを見つけたときは、真夜中でした。床の絨毯が湿っていて、気持ちのよくない部屋でしたが、翌朝見た雄大なカナディアンロッキーの景色に感激しました。

そのあと、ウォータートンレーク、グレイシャー、イエローストーンなどの国立公園を巡り、西部山岳地帯の絶景を満喫しました。モーテルもその後は、飛び込みでも泊まることができました。

最後に訪れたワイオミング州にあるグランドテトン国立公園は、年配の人なら誰でも知っている西部劇映画「シェーン」の舞台となったところです。最後のシーンの背景にそそり立っていた岩山は、一部雲がかかって、映画ほどの絶景とはいきませんでしたが、テーマ音楽「遙かなる山の呼び声」を口ずさんだとき、「ひとり旅は最高だ」と感じました。

このときのひとり旅は、黙々と本当のひとり旅でした。道中、親しく誰かと話し込むようなことはありませんでした。当時は41歳、忙しい現役サラリーマンの日々にポッカリ空いた、思いがけない自由時間。雄大な景色をぼんやりと眺めながら、これからの人生のことを、あれこれ考え続けていました。
「今度はいつ、こんな旅ができるだろう」
ニューフロンティアを求めた旅人たちが駅馬車で西に向かったオレゴン・トレイルを走りながら、遥か未来の自分を想像していました。

● 単身赴任のインドでしたひとり旅

わたしは、南部のチェンナイに1年と、同じく南部のバンガロールに4年いました。1993年から、1998年の間です。初めての単身赴任だったので、1~2泊の旅にたまに出かけました。

わたしのインド人の友人が、クールグという、美人ばかりの地域があると教えてくれました。それはインド南西の端に近い、西ガーツ山脈の中にあります。 バンガロールの街でもときたま見かけますが、なるほど色が白くて、エキゾチックな顔立ちが、なかなか素敵なのです。わたしはさっそく、クールグにひとりで出かけました。

クールグは虎が住む密林に覆われ、開けた部分には、小さくて魅力的な街があります。その郊外には、胡椒やコーヒーのプランテーションが広がる、自然豊かで、気候の快適な土地でした。

・その昔アレキサンダー大王配下の一部がこの地に住みつき、周囲から孤立した環境の中で、伝統を守ってきたそうです。でも歩く人々は、ふつうのインド人と変わりません。ときたま色白の女性を見かけますが、皆相当の年配の人たちです。

旅から戻って聞きました。クールグ美人は、みなバンガロールなどの都会に出て、地元に残るのは老人ばかりとのこと。何でそれを早く言ってくれないのかと思いました。クールグ美人を見たければ、わたしの住むバンガロールが一番だったのです。

インドに住むからには、最南端を極めたい。わたしはひとりで、インド亜大陸南端のコモリン岬を目指しました。断崖絶壁にインド洋の波涛が押し寄せる、豪快な景色を思い浮かべていました。

インド最南端の地はカニヤクマリという聖地になっており、大勢の巡礼者が押し寄せていました。穏やかな海岸があるだけで、やたらに人の多い、ほかのインドとあまり変わらない風景で、ややがっかりしました。

付近の海岸で土地の漁師と仲良くなりました。漁をする小舟に乗せてもらい、沖に出ました。昔ながらの刳り舟に乗ると、目の前にココヤシで覆われた海岸線が続きます。喜望峰を回ってこの付近に到着したバスコダガマも、きっと同じ風景を見たことでしょう。

漁師たちは、釣れた魚を浜辺で焼いて、食べさせてくれました。新鮮なサワラにマナガツオは、大変おいしかったのですが、最後に料金でもめました。インドの旅行では、常にカネに絡むトラブルが付いて回りました。

最新ニュース
Warning: file_get_contents(http://admin.lifestyle777.com/link_ad/shuffle.cgi?en=u&file=1&s=ok&j=ok): failed to open stream: HTTP request failed! HTTP/1.1 403 Forbidden in /home/lifes017/public_html/tatsujin-tabi.jp/hitoritabi1-5-1.html on line 135
Life style
Copyright(c)Life style.All Rights