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わたしのひとり旅1

山口県西部の旅
2008年夏
Life style

 山口宇部空港の建物を出たとたん、頭がクラクラとした。東京は暑いと思っていたが、こちらの暑さは半端ではない。ザッと4~5℃は温度が高い。西日本はすでにキッパリと梅雨明け宣言を終え、夏本番の主戦場となっている。

 例によってレンタカーに乗り、下関を目指す。今までの関門地区は、わたしにとって常に通過するところだった。狭い海峡の両岸に都市が迫り、古代より交通の要衝であるこの地が、古代商社活躍のエリアだったことに間違いない。わたしとしては、行かなくてはならない場所なのだ。

 まずは下関の背後に聳える火の山から、関門海峡を俯瞰する。吊橋の対岸、門司の街が手に取るように見える。なるほど近い。有名な壇ノ浦は足下に広がる。源平合戦に登場する海峡の小島、満珠、干珠も浮かんでいる。写真で見慣れた風景なので、初めて訪れた場所のような気がしない。

 海峡の際に行ってみると、潮流が川のように早い。そして流れは時間とともに反転するから厄介だ。日本海と瀬戸内海を結ぶ大切な水路。古代から多くの船が、ここを通らねばならなかった。難水路を乗り切るために、特殊な航海技術者が必要だったに違いない。

 古代商社の海運部門が、この役割を一手に引き受けたのだろう。やや内陸に位置する住吉神社を訪れた。長門の国一の宮であるこの神社は、神功皇后が新羅遠征から凱旋の際に建立された。古代商社が奉る住吉三神は海の神だ。新羅往復の航海に当たり、古代商社の海運部門が大いなる貢献をした。その証がこの神社だ。

 関門海峡は、歩いて15分で渡れる。歩行者用の海底トンネルがある。門司側に出たところが、和布刈(めかり)神社だ。この神社で古来より行われているワカメ刈りの神事は、松本清張の小説で一時脚光を浴びた。

 神社の上空に、関門大橋がかぶさっている。九州島のまさに先端に、この神社がある。ワタツミの神より連なる、いくつもの海の神を祭る。それら神々の系譜から、阿多隼人と安曇氏のコラボが読み取れる。南海の物産に強い阿多隼人と、北九州、瀬戸内、近畿の顧客に食い込む安曇氏は、補完関係にあったと見る。海運の難所に、航海安全を祈って、両グループJ/Vによる和布刈神社が建立された背景が透けて見える。

 それにしても、神社は寂れている。社務所はあるが、声をかけても誰も出てこない。神社の先に門司港一帯を再開発したレトロタウンがあり、そこに向かう観光客は多くても、神社に立ち寄る人は限られる。

 下関のビジネスホテルで教えてもらった、居酒屋に向かう。イケスの魚を料理するのがお店の基本のようで、わたしの予算では高過ぎる。わたしが注文をつけたら、人のよさそうな主人が、比較的安めのアワビとタコを勧めてくれた。

 「下関の景気は悪い」という、主人の愚痴を肴に飲んでいたら、カウンターの隣席に、50がらみの男性客が一人座る。話しかけると、下関在住の元船乗り。世界の海を航海したという。わたしが商社時代に行ったアフリカ沿岸の港町が共通の話題となり、お互い酒が進んだ。

 元船員氏は、「長州は敗者に優しいところだ」という。例として、平家と佐々木小次郎を挙げた。なるほど!そういう見方もあるのだ。昼間訪れた赤間神宮には、安徳天皇他、平家の武将たちが丁重に祀られていた。小次郎が宮本武蔵と決闘した小島は、敗者の名前をとって巌流島となった。わたしは行かなかったが、下関の船着場では、巌流島クルーズを盛んに宣伝していた。

 翌朝下関を発ち、日本海に沿って北上する。本州最西端、毘沙の鼻から、沖に浮かぶ蓋生島を望み、今回旅の目的地の一つである土井が浜遺跡へ。そこには、立派なミュージアムが建っていた。

 弥生時代の前期から中期の遺跡で、約300体の遺骨が見つかった墳墓の跡。遺体はすべて、頭を海に向けて埋葬されている。海の向こうの故郷を見ながら、死の眠りについた人たちだ。中国山東省の遺跡からも、これら弥生人と似た骨格の遺骸が見つかっている。中国大陸から春秋戦国時代の混乱を逃れた人々が、朝鮮半島を経てこの地に渡ってきたのであろうか。

 土井が浜遺跡に埋められた遺骨の腕に、南海産ゴホウラで作られた貝輪がいくつもはめられていた。阿多の隼人が南海から貝材を集め、腕輪に加工し、玄界灘一帯に強い安曇、宗像などの古代商社を通じ、土井が浜の有力者に売り込んだのだろう。

 土井が浜からさらに北に進む。本州西北端に突き出した、向津具半島へと入る。半島先端に近い大浦部落は、北九州宗像氏の拠点、鐘崎から移住した海人の住むところだ。いまでも海女(この地では海士と書く)がアワビ、サザエやウニなどを採っている。

 大浦部落にあるだろうと期待していた宗像神社はなく、やや内陸に入った八幡宮の宮司さんに話を聞いた。宗像漁民の大浦移住は比較的新しく、わたしが追跡する古代商社とは無縁のようでガッカリする。

 近くに楊貴妃の墓があった。もちろん伝承に過ぎないが、彼女はこの地に漂着して、亡くなったと伝えられる。八幡宮の宮司さん曰く、この地は昔向津と呼ばれ、大陸に渡るのに潮流や風の都合のよいところだったらしい。痕跡は何も残っていないが、昔からこの地が、大陸との交流があったところであることは、間違いなさそうだ。当然古代商社の出張所も置かれていたに違いない。

 この地は現在、向津具(むかつく)と呼ばれる。住人は怒りっぽい人かと思ったが、逆だった。話を聞いた宮司さんや、八幡宮への道を教えてくれた駐在さんは、二人ともステテコ姿で暑さにうだっていたにも関わらず、突如来訪したわたしの質問に、とても優しく穏やかに応じてくれた。

 その晩は萩泊まり。宿泊するビジネスホテルそばの居酒屋へ。2階もある、かなり大きなお店だ。青年団の寄り合いや、酒造組合の打ち合わせ、浴衣祭りの予行演習など、いろいろ理由を付けた地元の人たちが、お店のなかで飲み会を繰り広げている。

 魚メニューは豊富で、かなり安い。「ヒラソ」とあるから、ヒラメの間違いかと聞いたら、それで間違いではなく、ヒラマサのことを地元ではそう呼ぶらしい。「ボテコ」とは何かと聞けば、カサゴのことだと言う。カサゴと言えばオコゼの親戚みたいなものかと聞けば、オコゼほど器量が悪くないと言う。

 「オコゼもカサゴも器量の点ではいい勝負なのに・・・」と思いつつ、ヒラソとイサキの刺身、そしてボテコのから揚げを頼んだ。その日に上がった素材だから、新鮮そのもの。地の冷酒と共に、キューと喉に流し込むとたまらない。

 店の人が言うには、萩も最近は不景気だそうだ。若者は減り、観光客も減っているらしい。この街を訪れるのは44年ぶりだが、街の美しさは変わらない。地元の人は大変だろうが、旅行者にはこの静かな街がいいのだ。
 経営が悪化した萩の大学に関する最近のニュースを思い出しながら、複雑な気持ちでお店の人の話に耳を傾けた。

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