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わたしのひとり旅2

出雲の旅
2007年秋
Life style

 10月の中旬、2泊3日で島根県の出雲地方を旅した。何故この時期出雲なのかと、人は問うかもしれない。10月は神無月と呼ばれ、八百万の神がいなくなる月だ。神々はどこへ行くかといえば、出雲に全員集合する。10月を、出雲だけが神在月と呼ぶ。だからこのシーズン、神々で混雑する出雲は避けるべきと思われるだろう。

 でも心配はいらない。花火大会で混雑する鎌倉や江ノ島とは訳が違う。それに、わたしの利用する安いビジネスホテルやトヨタレンタカーを、神々が利用するとも思えない。だいちこれは陰暦の話であって、今の10月とは時期が少しずれている。

 そもそも何故出雲を目指したかといえば、わたしが旅をする一連のテーマである、古代商社の足跡探しの一環なのだ。古代商社と思われる海人族の活動の痕跡を探すのみならず、古代のことを知るには、やはり出雲を知らねばとも、思ったわけである。39年前に一度出雲には足跡を記してはいるが、あのときの旅の目的の65パーセントがナンパのためだった。今一度襟を正し、清い心で出雲を訪ねるべきだと常々思っていた。

 朝から雨模様だった出雲地方は、わたしの乗った便が出雲空港に着陸するやいなや、ピタリと止んだ。八百万の神々に歓迎されていることを、しかと感じる。レンタカー屋のオネエサンがわたしの目ん玉を凝視しながら、「須佐神社にゆくべし。境内で気を感じるべし」と唱えた。わたしは思わず「ハッハー」と頭を垂れ、予定していなかった須佐神社を、三日目の目的地の一つに加えた。出雲は何かが違う。

 暑からず寒からず、快適な気候の中、神々の集う山野を縫って、わたしは熊野大社、神魂(かもす)神社、八雲立つ風土記の丘、八重垣神社などを巡った。

 神魂神社は、大和に征服された出雲支配者の祖・天穂日命を祭る。信仰の中心を出雲大社に奪われ、ひと気のないやや寂れた境内には、古代そのままの佇まいが残っていた。

 わたしの視界に、突然白いものがよぎった。おどろいて振り向くと、境内の片隅を早足で進む白装束の巫女が目に入った。神魂神社の由来を聞こうと近づくと、彼女は逃げるように社務所に入ってゆく。わたしは執拗に彼女を追い、神社の情報を得ようとした。「5~6世紀の創建の古いお社で、それ以上のことは分かりません」吐き捨てるような彼女の返答は、わたしに二の句を与えない。わたしは彼女の態度に、何か言いたくない秘密を感じた。

 割り切れない気持ちで訪れた「八雲立つ風土記の丘」は、古墳や展示学習館のある広い公園だ。展示学習館の学芸員氏と、話し込んだ。彼に神魂神社のことを聞くと、記紀や出雲風土記に載っていない謎の神社であることを、教えてくれた。ナルホドなのだ。大和政権の軍門に降った元出雲王(臣)の屋敷神であったと、学芸員氏は考えている。二千年近くの時を隔てても、人々のわだかまりは消えていない。出雲は何かが違う。

 その晩は松江に泊まり、ホテルで教えてもらった居酒屋で、珍しいサバの刺身や白イカの刺身を堪能。板さんに聞けば、程近い恵曇(えとも)の漁港に、今日揚がった新鮮なものばかりとのこと。恵曇こそ出雲海人族の拠点と、わたしが想定している場所で、明日訪れる予定だ。何だか嬉しくなった。

 翌日は、島根半島を東の地蔵崎から、西の日御碕まで横断し、海岸沿いに古代商社の痕跡を訪ね歩いた。半島の東端にある美保神社は、大国主命の息子である事代主命を祀っている。この神様は、大和政権への国譲りを不服として、海に飛び込んで自殺(?)した。元来釣りが趣味で、海が好きだった。
その後事代主命は恵比寿様となり、全国海民の信仰を集めることになったそうだ。出雲の国と海の民が、グイと接近するのを感じた。

 遙か洋上に隠岐の島の薄い島影を望みつつ、リアス式の海岸線を西へと向かう。出雲風土記に出てくる千酌の漁村を過ぎ、佐太神社へ。その脇にある鹿島歴史民俗資料館で、付近の海沿いにある古浦遺跡から、海の向こうの物品が出土したことを知る。隠岐の島から出土した黒曜石や、南海産の貝類で作った腕輪などなど。出土した古浦遺跡は、わたしが出雲海人族の拠点と目星をつけている恵曇(えとも)部落のすぐ近くだ。そこは、鹿島歴史民俗資料館からは、目と鼻の先にある。

 恵曇に着いたら、丁度昼食どきとなった。漁港に面した海岸沿いの一本道に、硝子戸に食堂とだけ書かれた家があった。ガラガラと戸を開けると、なるほど食堂ではある。乾き切ったラーメンのどんぶりが洗われぬまま放置され、テーブルの上の胡椒や醤油の瓶に埃がかぶり、割りばしの一部が変色している。やや汚いというか、相当に汚い。

 中からオジサンが出てきて、食堂は開店しているという。この場で逃げるのもなんだから、清水の舞台から飛び降りたつもりで、親子どんぶりを注文した。家の中から奥さんが出てきて、玉ねぎを探し始めた。

 親子どんぶりができる間、オジサンから恵曇のことを聞いた。なぜ「えとも」と呼ぶかと聞けば、知らないという。わりと最近まで江角(えずみ)と呼ばれていたけど、ここに古くからある神様は恵曇神社だという。

 「えずみ」と聞いて、ドッキリとした。わたしがなぜ恵曇を海人族の根拠地と睨んだかというと、古代海洋民族・安曇(阿曇)氏と関連があるのではないかと思ったからだ。そして食堂のオジサンから、この地が最近まで「えずみ」と呼ばれていたことを知る。「あずみ」と「えずみ」…近いではないか。さっきの鹿島歴史民俗資料館で、この付近の遺跡から、海の彼方より運ばれた物品が出土したことを知った。わたしの想定は間違いなかったようだ。ここはその昔、古代商社・安曇族の交易拠点だったに違いない。

 その後日御碕、出雲大社を巡り、二日目の夜は出雲市駅前のホテルに泊まる。教えてもらった居酒屋に行ったが満員。閑散とした駅前通りからは想像できない盛況ぶりだ。仕方がないので、「魚料理」の看板を掲げた近くの小料理屋に飛び込む。こちらは客がだれもいない。

 この地で32年も店をやっているという老夫婦から、出雲のことをいろいろと教えてもらう。カンパチの刺身や黄鯛の南蛮風から揚げは絶品。店の夫婦は出雲大社に奉仕する信者なので、大社にまつわる話をいろいろと聞くことができた。

 三日目は、レンタカー屋オネエサンを通した神のご宣託に従い、南の山間地に分け入って、須佐神社を目指した。その名のとおり、スサノオ神を祀る。百パーセント自然に溶け込んだ山里の中央に森があり、そこに須佐神社は鎮座する。

 確かに気を感じる。境内と背後の森を、気がブンブンと飛び回っていた。2千年を遙かに超えて宮司を務める須佐家は、今が79代目。宮司さんの東北弁に近い言葉は聞き取りにくかったが、出雲神話の興味深い話を伺う。もらった神社のパンフレットには、中央政府による神社社格の処遇への不満が書かれていた。この社にも、怨念が渦巻いている。出雲は何かが違う。

 大和朝廷に征服される前の出雲王朝は、朝鮮半島や北九州などとの交易を通じて先進文化をいち早く取り入れ、大いに栄えていたと思う。その権勢は出雲一国を越えて、本州の広範に及んでいた。そしてその繁栄を背後から支えたのが、交易を司る古代商社である海人族たちであったことだろう。出雲繁栄を担った先人たちは、海人族に共通する蛇神信仰を持っていたという説もある。

 栄えた出雲は、大和政権の力と謀略によって無理やり抑え込まれた。大和に征服されたときの反動エネルギーが怨念となり、出雲の山野にいまだ深く染み込んでいる。

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