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わたしのひとり旅3

吉備路の旅
2008年冬
Life style

 古代の交易を司った、いわゆる古代商社の足跡を訪ねるわたしの旅シリーズの中で、吉備路は欠くことのできない目的地のひとつだ。大和に統一王朝が成立する以前、吉備地方には強大な王国が存在したとされる。そこには強い権力に支配された統一社会があり、それを支える経済基盤と、その潤滑油となる活発な交易があったはずだ。吉備路には、古代商社の活躍した痕跡があるに違いない。

 旅行前に読んだ吉備古代王朝に関する数冊の参考書から、今回の旅の目的地はすでに決めてある。まずは岡山市の東、海岸沿いに位置する、古くから瀬戸内海の商港だった牛窓を目指す。岡山空港からレンタカーを飛ばす道筋には、昨日降った雪が残っている。

 狭い海峡を隔てて、すぐ正面に浮かぶのが前島、その背後には、どっしりと大きい小豆島が控える。その他にも、名も知らぬ島また島が点在する多島海の絶景。牛窓は古代から天然の良港で、古代吉備王国を支えた瀬戸内交易の拠点だった。

 古い商家の街並みと海を見下ろす小高い丘は、そのいくつかが古墳だという。瀬戸内海交易で巨富を得た、古代商社重鎮の墳墓なのだろうか。

 街の東外れ、原生林の丘に鎮座する牛窓神社を訪ねた。宮司とおぼしき人が、参拝者の中年女性二人と、拝殿前で談笑中だ。わたしが近づき神社の由来を聞こうとすると、「丁度よいところに来た」と、宮司はわたしに、参拝者名簿への記入を促した。岡山市から来たという女性二人とともに、拝殿に向かって二礼二拍、そして宮司の祝詞が始まった。

 「…神奈川県藤沢市から遠路参拝越しし布施の克彦がアア・・・」との段で、わたしは「ハッハー」と、さらに頭を深く下げる。祝詞は続く。「その昔イ、神功皇后がアア・・・住吉の神々とオオ・・・この地にて人民を悩ます巨牛を退治してエエ・・・」宮司はわたしの知りたい神社の由来を、祝詞の中で語ってくれた。海上遙かなる三韓を征伐したという伝説の人物神功皇后と、住吉の航海神が織りなす神社の由来は、牛窓が古代商社の拠点だったことを雄弁に物語る。

 宮司や女性参拝者としばし談笑の後、宮司に教えてもらった海辺の食堂でアナゴ丼を食べ、次の目的地である吉備の高島へと向かった。

 岡山市の南、深く入り込んだ湾を越えて対岸の児島半島へと架かる児島湾大橋を渡ると、橋の左下に、原生林に覆われた高島という小島が浮かぶ。神武天皇は東征の折、途中吉備の高島に八年間滞在したことが、古事記に記されている。

 こんな小さな無人島に、天皇が長逗留したとは思えないが、この辺りが、古代吉備国と瀬戸内の交易を繋ぐハブであったようだ。大和朝廷が全国に設置した物流拠点である屯倉の一つが、この地にあった。

 宮浦集落に高島神社があり、狭い水路を隔てて浮か ぶ高島を、遥拝するように建てられている。港湾、倉庫、工場などが並ぶ雑然とした風景の中に、原生林に覆われた小さな高島だけが、周囲から神々しく浮きあがって見えた。

 弥生、古墳時代に栄えた吉備王国は、日本書紀の記述などから類推すれば、五世紀後半の雄略天皇の時代に、大和朝廷の配下に組み込まれたらしい。児島の屯倉は、その後に設置されたものだ。神武天皇滞在の地という古事記の記述からしても、高島一帯は、大和朝廷の軍門に下った後の吉備の海陸物流拠点とになり、先に訪れた牛窓の地位を凌ぐようになったのではないだろうか。

 高島を浮かべる児島湾を見下ろす金甲山に登れば、その先岡山の市街地の西側に、明日訪れる吉備国の中心地が遙かに望める。足下に広がる高島を中心とする一帯が、国の物流拠点である吉備の津にふさわしい場所であったことがわかる。

 夜は岡山泊まり。例によって、宿泊するビジネスホテルで薦められた居酒屋を目す。残念ながら、その店は今日月曜が定休日。仕方ないので、すぐ隣の居酒屋へ。

 気さくな店長から、カウンター越しに岡山情報を仕入れた。わたしが歴史好きと言えば、時代に関係なく、次々と周辺の歴史スポットを教えてくれる。早口で、聞き取りにくいのが難点だが、とても優しい人なのだ。彼は岡山を愛している。食べ物はうまいし、観光名所も豊富と、郷土を自慢した。何よりも天気がいい。日本一晴天の多いところだと強調する。

 翌日は雨だった。でも小雨だから大丈夫。岡山の市街を抜けて、吉備路の中心へと向かう。

 まずは吉備津彦神社、そして吉備津神社へ。前者が備前の国一の宮、後者は備中の国一の宮。同じ丘陵の麓に位置して、車で十分の距離しかない。その間に備前、備中の国境が走っているわけだが、両社とも祭神は吉備津彦と紛らわしい。ちなみに備後一の宮も、同じ祭神の吉備津神社である。

 参考書を読む限り、どうも備中の吉備津神社が式内社で格が高く、本家であるらしい。ふたつ並びの屋根を持つ独特の吉備造りの本殿は、運悪く工事中で見学できなかった。

 このあたりどこでも祭神に奉られている吉備津彦とは、一体何者か。表向きは、第十代崇神天皇によって各地平定のために派遣された四道将軍のひとりで、大和朝廷確立に貢献した英雄とされている。その一方で、大和朝廷に制圧された吉備王国の大将、すなわち被征服者だという説もあり、吉備津彦の実像は、古代史の深い霧の中だ。

 雨が少し強くなってきた。なだらかな丘陵をうねる田園風景。せっかくの菜の花畑が、雨の中に霞む。晴れの国・岡山に、くやしい雨が降る。ワイパーを早回しにしながら、古墳の宝庫といわれる吉備でも、最大の造山古墳へと急ぐ。

 造山古墳は、日本で第四位の規模を持つ前方後円墳だ。五世紀前半に作られたというから、大和朝廷に征服される以前からあった。吉備王国全盛期を謳歌した権力者が、埋葬されている。本当の吉備津彦は、ここに眠っているのだろうか。

 大和や河内にある諸天皇の古墳は宮内庁が管理していて入れないが、ここは自由によじ登れる。被征服地の権力者の墓は、万人の足で踏み固められていた。古墳の頂から、いくつかの陪塚を見渡す。これら陪塚の主は、造山古墳に埋葬された権力者と共に殉死したのだろうか。

 吉備路のクライマックスは、備中国分寺。 菜の花畑の先に見える五重塔は、観光写真でお馴染みだ。幸い雨が小降りになった。車を降りて、国分尼寺跡、こうもり塚古墳、吉備路郷土館を巡る。田園や山林、そして点在する農家と、それらを縁取る池を、ゆるい起伏の散歩道が左右にかき分けてゆく。大和路の風景と、よく似ている。

 やや離れたところにある、全国第九位の前方後円墳・作山古墳で、吉備路道中のすごろくは上がり。昼食に名物の備中うどんを食べていたら、再び雨脚が強まった。これ以上の散策は無理と判断し、少し時間は早いが、今日の宿泊地である高梁へと向かう。

 カーナビで検索すると、高速道路経由のルートを辿れとのご指示。それでは早く着き過ぎてしまう。ご指示に背く行為をカーナビに詫びつつ、高梁川に沿う一般道を選んで、高梁の城下を目指した。

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