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わたしのひとり旅4

薩摩半島の旅
2006年秋
Life style

 目の前に、万之瀬川の河口が作る広大な干潟がある。その中で、腰をかがめている人がチラホラ見える。アサリを採っているらしい。万之瀬川の対岸遥か先に、野間半島の山並みが続く。ひときわ高い円錐形の野間岳は、古代から航海をする人たちのよい目印になったことがよく分かる。そして万之瀬川の手前、北側に目を移すと、吹上浜の砂丘が鹿児島県の西側を縁取るように、どこまでも続いている。海上には薄っすらと切れ切れに、甑島列島が見える。

 2泊3日の旅は、今日が最終日だ。
知覧、指宿、枕崎、坊津、笠沙、加世田と回り、今は金峰町(南さつま市の一部)の海辺にいる。今夕東京に戻る。

 薩摩半島の西南部を流れる万之瀬川一帯の平野部は、この辺で最も早く開けた土地らしい。縄文、弥生時代の遺物がザクザクと出土する。

 古事記によれば、天孫ニニギノミコトは、今わたしの目の前に広がる野間半島の先端、笠沙の岬に降り立ち、土地の女性、コノハナサクヤヒメと結ばれた。生まれた子供が海幸、山幸などで、山幸の孫の一人が神武天皇になるのだから、ここは日本誕生の地とも言える。

 この地は古来、阿多と呼ばれ、大和民族に抵抗した隼人族の拠点のひとつだった。

 阿多の隼人は遥か海の彼方と交易を行なう、海洋性の強い民族だった。
遙か南方、インドネシアから、ボルネオ、フィリピン、台湾、八重山、そして沖縄と、アジアの海を縦横に行動してきた海洋民族と、阿多の隼人はどこかで繋がっているはずだ。

 沖縄、南西諸島の島々から物産を取り寄せ、それらを北九州や近畿地方の市場に運んだ。阿多隼人は、まさに古代商社マンだったと思う。そして今、わたしのいる万之瀬川の河口部こそ、彼らの活動拠点だった。

 古代の商社マンたちは、円錐形の野間岳を目当てに、この地に船で集まってきた。

 わたしが午前中に訪れた、近くの高橋貝塚からは、南方の海でしか採れない、ゴホウラ貝やイモ貝を材料とした腕輪が出土した。

 完成品のみならず、粗加工しただけの未完成品も出土している。
未完成の貝輪が発見されたのは、高橋貝塚だけだと、金峰歴史交流館の学芸員氏が話してくれた。

 高橋貝塚は、阿多隼人がビジネスの拠点とした、南方産貝殻の加工センター跡だったようだ。南の海から運ばれた貝類が、ここで腕輪や指輪などに加工され、北九州や出雲、近畿などの市場に、出荷された。

 古代商社マンは、単にモノを右から左に流すだけでなく、自ら商品に付加価値を付ける努力をしていたのだ。わたしも現役商社マンのとき、単に鋼材を売るのではなく、鋼材加工センターを設立して鋼材に付加価値を付け、ユーザーの幅広い需要に応える努力をした。商社の知恵は昔も今も変わらないのだろうか。

 学芸員氏は、さらに興味ある話をしてくれた。北九州でしか出土しない甕棺が、この地の遺跡から出た。中から、貝輪を腕にした人骨がみつかった。

 北九州から何らかの目的でこの地を訪れた人が客死し、故郷から運ばれた甕棺により、郷里の流儀で葬られたと、学芸員氏は想像する。

 北九州商事の古代商社マンが、出張中に死亡し、阿多の地に葬られた。わざわざ甕棺が取り寄せられる程、当時から北九州との交流は頻繁だったのだろう。

 古代交易へのロマンは、わたしの心を駆け巡る。東シナ海を見ながら空想にふけるわたしの目の前に、小型トラックが止まった。中から作業服姿のオジサンが出てきて、砂を袋に詰め始めた。

 セメント用にするのだという。オジサンは久し振りにこの場所に来たらしく、海岸の変わり様に驚いている。この前来たときは、トラックで波打ち際まで行けたのに、今は砂丘が海岸線と並行に数メートルもの高さを持つ段差を作り、波打ち際への道を遮断していると言っている…らしい。

 このオジサンの言葉がよく分からないのだ。薩摩方言が分かりにくいことは知っていたが、午前中話をした学芸員氏や、昨晩加世田の居酒屋で、おいしいメヒカリの天ぷらやマナガツオの刺身を食べさせてくれた板前サンの言葉はよく理解できた。でもこのオジサンの言葉は難解だ。

 「日本の海岸線は、どこも侵食が進んでいるのですかね」
わたしが、自宅近くの湘南海岸の有様を連想して問いかけると、オジサンは意味不明の笑いを浮かべた。そして、「…チャンコロ…チャンコロ…」とおっしゃる。どうもわたしの言葉が分からなくて、話題を変えたらしい。何度も聞きなおして、やっと分かった。

 このオジサンが子供の頃、万之瀬川河口の特攻隊が飛び立つ滑走路作りに駆り出され、学校で勉強する時間などなかった。そして工事現場には、強制労働をさせられている中国人が大勢いて、彼らに睨まれ、とても怖かったと言っているようだ。

 特攻隊の基地は、一昨日訪ねた知覧が有名だが、ここにも滑走路があって(万世基地と言った)、若者たちが南の空へと飛び立ったらしい。

 天孫ニニギノミコトが天空から降り立ち、阿多の隼人は遥かなる南の海との交易に従事した。そしてつい60年ほど前には、若者たちが遠い空の彼方へと去った。

 日本列島の陸が終わるこの地は、その先に続く遥かなる空や海が重なり合う、別界との出入り口のようなところなのかもしれない。

 (拙著『男なら、ひとり旅』P134 -138の文章を改訂)

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