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わたしのひとり旅5

栃木県北の旅
2008年初夏
Life style

 中学生のころ、家族で栃木県の塩原温泉へ行った。温泉には、東北本線の西那須野駅からバスで入る。温泉行きのバスは西那須野駅の西側から出るが、反対東側の隅に、東野(とうや)鉄道という、小さな私鉄の発着駅があった。当時でさえ相当に古い1両だけのディーゼルカーが、那須野が原を東進して、約13キロ先の黒羽まで走っていた。当時から鉄チャンだったわたしは、いつの日か東野鉄道に乗ることを、そのとき夢見た。

 大学生となり、大いなる自由時間を獲得したのだが、その多くを、北海道や九州などの遠隔地への旅行に当てた。行くべきところがたくさんあり過ぎて、中途半端な距離にある東野鉄道のことなど、忘れてしまった。わたしが大学3年生だった昭和43年の12月にこの鉄道はひっそりと廃止され、それを知ったのはだいぶ後のことだった。

 2008年5月21日、今年も宇都宮大学で講義をした。今年で5回目。十分日帰り可能な宇都宮行きでも、必ず近隣の小都市に一泊し、ひとりで酒を飲むのがわたしの密やかな楽しみだ。今年は、県北那須野が原にある大田原に泊まる。乗りそこねた東野鉄道。その沿線にある最大の町だ。

 西那須野の駅前に、バスがポツリと一台停まっていた。中にはポツリと運転手ひとり。しかし乗客はポツリともいない。運転手に、予約してある大田原のビジネスホテルの名前を告げた。近くを通るから乗るべしと、彼はすかさずわたしをバスに引き込んだ。乗客ゼロで走る路線バスほど、わびしいものはない。なんとか乗客を一人捕まえた運転手の顔に、安堵感が漂っていた。

 バスから降ろされた場所は、場末の寂しいところだった。大田原の街の中心から、離れているのだろうか。ビジネスホテルは、すぐに見つかった。フロントのオジサンに、例によってお薦めの居酒屋を聞く。すぐそばにあると、即答を得る。

 東野鉄道の線路跡を聞くと、「ポッポ通り」という歩行者・自転車専用道になっていて、ホテルのすぐ裏を通っていると、こちらも即答を得る。旧大田原駅の場所を聞くと、これも即答と気持ちが良い。ただし今は大型スーパーが建っていて、駅の面影は残っていないらしい。フロントのオジサンは、奥からわざわざアルバムを持ってきて、東野鉄道が走っていたころの写真を、何枚か見せてくれた。

 東野鉄道の軌道後をなぞる「ポッポ通り」を歩く。大田原の一つ西側の駅であった「大高前駅」のホームと待合室が復元されていた。大高とは大田原高校のこと。

・大学の同じクラスに、この高校出身者がいたことを思い出した。顔も思い出したが、彼に東野鉄道のことを聞いたかどうかは思い出せない。彼はこの小さな駅を利用して、通学したのだろうか。

 しばらくポッポ通りを歩くと、大通りにぶつかり、遊歩道は終わる。目の前に、大型スーパーマーケットの建物と、二層になった広い駐車場が立ちふさがった。ここに旧大田原駅があった。なるほど、駅らしい雰囲気は、何も残っていない。

 ちょっとガッカリした気分を振り払い、教えられた居酒屋を目指す。広い駐車場を持つ大きくて新しい建物。居酒屋というよりは、日本料理店と呼ぶべき外観だ。わたしの目指すローカルな居酒屋イメージとは違うが、今さら別の選択肢はない。恐る恐る入ると、中は個室に分かれている。

 ひとり個室で飲んでもつまらない。芸者がくるわけでもないし、呼ぶつもりもない。だいち大田原に芸者はいるのだろうか。個室の前にカウンターがあり、若い板前さんが仕込みの最中。カウンターに客はいない。ここに座って飲むことにした。

 海から遠い大田原だが、お薦めメニューには魚料理がずらりと並ぶ。どれも新鮮だと、若い板さんは言う。どれも食材が古いと、品書きの料理を紹介する店はない。特に本日北陸より届いたコウナゴの刺身というのが珍しい。それと、米ナスの田楽に、トビウオの塩焼きを注文。

 取りあえずビールから始まり、辛口の熱燗へと続く、わたしのゴールデンコース。シラスの親玉ほどのコウナゴは、コリコリとアルデンテで、鮮度抜群。

 カウンターの向こうで一人働く板さんは、まだ修業の身だそうだ。兄貴分の板前衆は、奥の調理場で忙しく働いている。その中の一人が彼の師匠で、一緒に大田原までついて来た。店はまだ開店して二カ月。

 その前は、生まれ育った県南の真岡で修業していたそうだ。県北は人情が違うと彼は言う。どう違うかは聞かなかったがが、小さいと思っていた栃木県も、実際はかなり多様性を帯びているようだ。

 お店は繁盛している。カウンターに客は来ないが、個室の方には次々と客がやってくる。若い店員の声が飛ぶ。多くは、近くにある医療福祉大学生のアルバイトだという。

 大田原には、居酒屋が多いそうだ。この土地の人たちは、酒が好きなのだろうか。寒い冬は熱燗を浴び、暑い夏はビールを浴びる。それで体を壊したら、医療福祉大学のお世話になる。一方医療福祉大学生は、これら居酒屋に散って夜働き、学費や小遣いを稼いでいる。この街の補完関係図が浮かんだ。

 翌朝西那須野駅に向かうバスに乗り、あとは帰るのみ…と思ったが、途中で気が変わった。戻りのバスも乗客はわたしひとりで、運転手さんには申し訳なさもちょっぴりあったが、途中で降りることにした。

 乃木神社前でバスを降りると、たちまち那須野が原の風景に包囲された。田園と雑木林の織りなす、緑のうねり。懐かしい田んぼの匂いが鼻に優しい。那須連山は霞んで見えないが、バスを降りて正解だった。

 東野鉄道の起点である西那須野駅の次に、乃木神社前駅があった。その跡地近くが、今は公園に整備されている。

 軌道跡の道と直角に交わる参道の突き当たりに、乃木神社が鎮座する。乃木希典大将の別邸がこの地にあり、日露戦争の後、明治天皇の死に殉ずるまで、何度か長期滞在をして、自ら農作業に勤しんだらしい。

 わたしは東野鉄道軌道跡の道を、西那須野駅に向かって歩き始めた。相変わらずの田園風景。東野鉄道は、今の何倍も緑濃い自然の中を走っていたのだろう。やがて東北新幹線のコンクリートが、景色を切り裂く。在来線も並行して走っている。西に向かっていた東野鉄道の軌道は、ゆっくりと南にカーブして、西那須野駅に吸い込まれてゆく。

 ぼくは東野鉄道の運転手さん。「ガタンガタン…間もなく終点西那須野でございます。東北本線は乗り換え。みなさまお忘れ物のないようにお降りくださあい」カーブする軌道跡の道を、体を左に傾けながら、ディーゼルカーになった気分で歩く。還暦過ぎての電車ごっこ。

 那須野が原をゆっくりと走る一両のディーゼルカーを、頭に描いている。自然と人為の、見事に調和した風景。中学生のころの憧れも、きっとこのイメージだったのだろう。

 西那須野駅の、ステーションビルが眼前に迫る。景色が明るくなって、東野鉄道のイメージは、どこかに消え去った。

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