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わたしのひとり旅6

尾道・芸予諸島の旅
2007年冬
Life style

 海を前にした斜面に、古い街並みが貼りついている。軒先を縫うように、細い石畳や階段の道が続く。どの道も傾斜がきつい。尾道は疲れる街なのだ。

 古寺巡りの道を進む。志賀直哉旧宅のあたりまではよかったが、ロープウェイの架かっている千光寺まで歩いて登ったのがきいた。そこから一旦下って再び西国寺の階段を上ったところで、疲れは頂点となる。その上の三重塔へ行くのは諦めた。締めくくりの浄土寺で、しゃがみこんでしまった。

 暖冬の山陽路は快晴。梅は満開。桃の蕾もふくらんで、顔から汗が噴き出し、上着を脱いだ。細い水道の対岸は向島。その先、明日訪れる芸予諸島の島なみを越えて、四国石鎚の連山が高く遠く霞んでいる。

 瀬戸内海の海賊の足跡を訪ねる旅は、二日目が本番。新幹線の新尾道駅前でレンタカーを借り、芸予諸島を貫き四国に達する島なみ海道を一挙に南下する。道路公団民営化議論の象徴となった本四架橋の第三ルートは、確かに不可欠の道ではないかもしれない。四国・今治まで片道通行料五千円弱。かなり高い分、ドライブは快適だ。

 昨日の尾道探索の疲れは、ヒラメの縁側や、薄口しょうゆぶっかけのアナゴ天ぷらを肴にした夜の酒で、どこかに飛んだ。温暖化の影響で、瀬戸内の海の幸に旬がなくなったと嘆く店のオヤジの言葉は気になったが、わたしに何ができるものでもない。

 向島、因島、生口島、大三島、伯方島を過ぎて大島へと向かう。
この先来島海峡を渡れば、四国の今治に達する。わたしは四国まで行かずに大島で高速道路を降り、下から来島海峡に架かる吊り橋を眺めた。
連絡船が渦潮にあらがいながら、橋の下を進んでいる。

 大島の北岸に移動して、宮窪集落のはずれにある村上水軍博物館を見学。

 そのあと、周囲を見晴らすカレイ山展望公園に登った。眼下伯方島との間の海峡に浮かぶ小島は全体が要塞の遺構で、乱世を駆け抜けた能島村上水軍の拠点だった。今も渦潮の早瀬に囲まれた、難攻不落の海城の様子がよくわかる。

 村上氏は三家が鼎立し、来島村上家は伊予の河野氏、因島村上家は大内氏や毛利氏と結び付いたが、ここ能島の村上家はわが道をゆき、九州から東瀬戸内海の塩飽諸島までの海を掌握していたという。

 平時は海上輸送、水先案内、海上警護をし、時には漁業を営み、ちょっぴり海賊行為もし、戦時となれば都度権勢を見極めながら参戦し、海の戦闘を繰り広げた。

 そして彼らは、船、艤装品、武器、生活用品を作る製造者でもあった。
現在瀬戸内の島々に点在する造船所が、かつては彼らの製造拠点だったのかもしれない。

 多機能集団・村上水軍はどこからやってきたのか。島と海峡と吊り橋の織りなす絶景を見ながら考えた。これから行く、大三島の大山祇神社にヒントがあるかもしれない。わたしは大島から伯方島を経て、大三島へと急いだ。

 伊予の国一の宮の大山祇神社は、楠などの大樹に囲まれて、原始の静寂の中にあった。祭神の大山積大神は天照大神の兄で、神様の中でも位は最高。大地の神であり海の神でもあり、日本総鎮守の称号を誇る。初代神武天皇は、この神のひ孫の子供にあたる。

 神武天皇東征の折、先触れとなったオチの命は、大山積大神の子孫。
彼が天皇の航海安全を祈願して、この地に祖神を祭ったのが、この神社の始まりという。

 オチの命は伊予の支配者となる越智氏の祖。越智氏からは後にこの一帯を治める河野氏が出るが、村上水軍の先祖も、辿れば越智氏に行き着くのだろう。

 何で大山積大神が海の神様なのか。大昔の航海は、肉眼で見える山並や沖の島を頼りにしながら、方角や位置を確認していた。目立つ形の山容は、航海安全に不可欠だった。やがて航海者の間で、山の神が崇拝されるようになったわけだ。

 神社の説明書によれば、大山積大神は別名「吾田国云々の命」と呼ばれるそうだ。「吾田」は「阿多」。古代九州隼人族のひとつで薩摩半島を拠点とし、大山積大神を崇拝する航海に長けた阿多隼人が、遥か昔に神武天天皇に従って、瀬戸内海までやって来た。瀬戸内海に跋扈した村上水軍の遥かなる祖先は、九州や南西諸島の海を舞台に活躍していた航海民と見た。

 瀬戸内海賊のルーツが薄すらと見えて、旅の主要目的はまずクリア。途中因島に立ち寄って、夕暮れ迫る島なみ海道を尾道へと戻った。

 「お帰りなさい」小料理屋の戸を開けたら、いきなり言われた。この店に、以前来た覚えはない。昨晩も尾道で飲んだが、別の店だった。

 カレイの刺身と、セイゴのから揚げで飲んでいると、入って来る客誰にも、「お帰りなさい」と店のオヤジの声が飛ぶ。それだけではない。「こちらの席へどうぞ。さりげなく。ぎんぎらぎんに・・・」複数の客だと、「いよっ、スリーファンキーズ、お久しぶり!」

 いったいこの店は何なのだ。店のオヤジと話し始めると、わたしと同年生まれの団塊世代とわかる。「スリーファンキーズ」もそれで納得。

 昔話に花が咲いた後、「昭和50年が造船景気でピークだった。それに比べ今は・・・」と、話題に湿り気が漂い始める。それを振り払うかのように、「どうです。うちのカミサン、大地真央そっくりでっしゃろ」というオヤジの一言。隣に立つオカミの顔を見て、ぼくは絶句した。

 島なみハイウェイの開通で、尾道は通過する街となった。さびれゆく街を盛りたてようと、ここでも団塊の世代が頑張っていた。

 (拙著『男なら、ひとり旅』P138-143抜粋)

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