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わたしのひとり旅7

名古屋・渥美半島の旅
2007年冬
Life style

 12月の中旬、わたしの活動しているNPOの関係で、名古屋に行く用事ができた。名古屋の私立大学から向こう三年間の講座を受注し、NPO活動会員24名を毎年講師として送り込むこととなった。大学側と、種々の段取りを打ち合わせなくてはならない。

 打ち合わせは、約2時間で済む。当然日帰り出張となるところだが、わたしの場合は、せっかく名古屋まで行くのだからと、必ず1泊することを考える。

 大学での用事が済み、予定していた名古屋市内の海人系神社と熱田神宮を駆け足で訪ねれば、早くも冬の日は落ちてしまった。

 夕闇の熱田駅から普通電車に乗って東に向かう。電車の終点、豊橋駅に降りる。すでに真っ暗だが、時計を見ればまだ午後六時なのだ。

 今夜の泊まりは、豊橋駅西口近くのビジネスホテル。「地方の居酒屋で飲む」というサブテーマの今回の舞台を、わたしは豊橋に設定している。

 いつもの通り、ビジネスホテルのフロントで、「この近くで、安くておいしい土地の名物を食べさせてくれる居酒屋を教えて」と問うた。いつもなら係りの人が、街のガイドマップを素早く取り出し、テキパキと小気味よく反応するのだが、豊橋のフロント嬢は、困惑を顔一面に広げてしばし答えに窮するという、予想外の展開となった。

 かなり間を置いてから、彼女は絞り出すような声で、苦しげに答えた。
「ホテルの近く、やすい、うまい、地元の名物・・・これら4条件をすべて満たすところは・・・ありません・・・」

 さらに聞くと、「地元の名物=味噌田楽」という観念が、彼女の思考中央に固定されているらしい。それを絶対核にして、他条件と結びつけようとしても、思考がそれ以上展開してゆかないのだ。名古屋人は何でも味噌をつけて食べるのは知っていたが、愛知県東端の豊橋でも、濃厚なる味噌文化圏であることを、深く思い知ることとなった。

 「別に何でもいいんだよ」とわたしが言えば、たちまち思考条件のロックが解除されたようで、「すぐ近くのスーパーバード。おいしいですよ」と、一転軽やかに彼女は応じた。

 「スーパーバード?・・・」「ええ、鳥の串焼きがおいしいんです」なるほど、焼き鳥屋なのだ。でも、英語名の居酒屋と、日本語名のマンションを、わたしは好まない。

 途方に暮れて広い自動車通りの反対側に目をやると、漆黒の闇に幻想的に浮かぶ赤ちょうちんが、わたしの視覚を過った。淡く赤い灯が闇の絵巻の奥底から、見えぬ手でわたしに「おいで、おいで」をしている。わたしは信号を無視しながら、通りの向こうにフラフラと引き寄せられていった。

 辿りついた赤ちょうちんの表に、献立表が掲げてある。500円前後の豊富なメニュー。「これでいいのだ・・・」メニューの中には、スズメ、カエル、ドジョウなどの字も見える。「ますますいいのだ・・・」

 セイゴの刺身、シャコの塩ゆで、スズメやドジョウを含めた串焼きを数本注文した。串焼きは塩で注文すると、アンチャンが「塩ですかあ・・・」と、反抗的態度を示した。「スズメとドジョウは味噌だれの方が・・・」と、ここでも味噌に拘る愛知県民が、わたしの前に立ちはだかった。愛知県には、味噌味以外ご法度なる県条例でもあるのだろうか。地元文化を受け入れるのが旅の鉄則。わたしは、スズメとドジョウに限り、味噌だれで譲歩した。

 翌朝は豊橋駅でレンタカーを借りて、渥美半島を先端の伊良湖岬までドライブする。快晴だが北西の季節風が強い。渥美半島は、古代商社の名家・安曇(あずみ)氏と名前が似ているので、以前から探索したいと思っていた場所だ。実際、渥美(あつみ)は、安曇からの変化したものという説があるのだが、安曇氏が信奉する海人系の神社は、この半島に存在しない。

 インターネットで探した安曇研究家のサイトに、渥美半島の海人根拠地だった場所として紹介されている地点に向かう。田原市山田と呼ばれる地区は、半島の先端に近く北海岸に食い込んだ福江湾のやや南、古代の貝塚が散在しているから、古い土地であることは間違いない。でもそこは、変哲ない農村地帯だった。

 渥美半島先端、伊良湖岬に到達。北西の季節風は益々強く、海に白波が立つ。立派なリゾートホテルも散見され、気候がよい時期には、観光客が大勢訪れるのだろう。今は訪れる人も少なく、先端の駐車場はガラ空き。駐車場の先に、伊勢志摩や知多半島に渡るフェリーボートのターミナルがある。

 車を降りて、半島最先端へと続く遊歩道を歩いた。少なくなった頭髪は命の次に大切だが、強風に全部吹き飛ばされるのではないかと心配になる。
 遊歩道に沿って岬を巡るにつれて風景変わり、伊良湖水道に浮かぶ神島が正面中央にきた。

 三島由紀夫の小説『潮騒』の舞台として知られる島だ。神島の背後には、伊勢志摩の山々が連なる。

 頭を右に振れば、知多半島と前面三河湾に点在する小島が広がる。大名古屋の産業集積地が奥に控える伊勢湾の入り口。大小の船舶が、荒波をゆっくりと抑えるように行き交っている。風さえなければ、長時間見ていても飽きない見事な景色。

 強風によろけながら遊歩道を進むと、行く手に伊良湖岬灯台が見えてきた。普通の灯台は岬の先端の丘の上に立っているが、この灯台は、波をかぶりそうな海岸線に立っている。その先、白砂が美しい恋路が浜へと道は通じている。島崎藤村の詩作『椰子の実』は、この浜辺で生まれたという。強風の中をさらに歩くのは大変なので、一旦駐車場に引き返し、車で恋路が浜にゆくこととした。

 駐車場へと向きを変えたそのとき、灯台背後の丘の中腹に、万葉句碑があることを発見した。天武天皇の皇族第三位の麻続王(おみのおおきみ)が、676年に歌ったものだという。麻続王は何か罪を得て、伊良湖へ流されたという。

 「貴族なのに海人みたいに海草を採っていてかわいそう」という意味の歌に対して、「食べ物がないから仕方ないのよ。人生はとってもつらいでおじゃる」と、麻続王が返歌をしている。貴族といえども、流刑地では食糧は自己調達が原則だったのか。とても哀れな歌で、伊良湖を渡る風音が、麻続王の空腹の叫びに聞こえた。

 歌に海人が登場する。渥美半島の先端で、ようやく海人の痕跡に出会った。7世紀のこの頃、すでに伊勢湾一帯に海人が住みつき、漁撈や交易の活動を展開していたのだろう。それが安曇族かどうかわわからない。でも古代商社マンたちが冬の季節風をものともせず、尾張・三河・伊勢・志摩の海をダイナミックに漕ぎ渡っている様子が、目の前の風景と重なった。

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