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ひとり旅以外のわたしの旅2

長男の結婚式へ
2007年初夏
Life style

 2007年の正月、若者から突然電話がかかってきた。
 「オレだけどさ…」
 一瞬身構えたが、振込め詐欺も真似できないバカ声で、長男とすぐ分かった。
 「オレ今度結婚するから…」
 アメリカで暮らす彼が、アメリカ人の女性と婚約したと言う。

 実はだいぶ前から彼女と同棲していて、一昨年の暮れ、長男は彼女を連れて我が家に数週間滞在していた。だからそれほど突然の話ではなく、彼女が素敵な女性であることをこちらも確認済みであったから、特に驚くことでもなく、とてもめでたい話なのであった。式は6月にニューヨークでやるから、是非来て欲しいとのこと。当然行くと返事した。

 まだ先のことと思っていたが、その日はすぐにやってきた。結婚式の前日、妻、次男、甥と共に、ニューヨークJFK空港に到着。長男、婚約者そして、彼女の父の出迎えを受けた。

 フィアンセは知っていても、彼女の実家V家の人々とは初対面になる。これから親戚付き合いするわけだから、どんな人たちか気になっていた。初対面の父は欧州系で、名前はジェリー。髭もじゃで、サンタクロースの弟みたいな風貌をしている。早口の英語は分かりづらいが、よさそうな人で安心する。空港から彼の車で、ロングアイランドにあるV家へと向かう。これから二日間、V家に泊めてもらうことになっている。

 閑静な住宅地にあるV家に到着。母と妹の出迎えを受けた。母は韓国人で名前はスンワン。漢字でお互いの名前を確かめ合って、なんとなく安堵する。しっかりした年上の女房で、家を取り仕切っている感じだ。

 V家に落ち着き、家族全員との挨拶が終わりホッと一息・・・も束の間、長男から衝撃の告白。新婦のお腹には、はや子供が宿っていた。2008年2月に出産予定という。はにかむ長男。顔を赤らめる新婦。苦笑いの新婦両親。マジかよ!さすが我が息子。手回しのよいところは親譲りだ。ジジババになるのは抵抗あり、戸惑いが先に来たが、嬉しくないといったら嘘だ。
二重の喜びに浸れるときは、人生にそうあるものではない。自分の気持ちを正直に、そして丁寧に噛みしめた。

 結婚式の段取りは、すべてV家に任せてある。費用も向こう持ちで、それがアメリカ流らしい。アメリカの習慣はとてもよくて、こちらはとても楽なのだ。唯一の懸念は、新朗の父としてスピーチをしなくてはいけないこと。気楽な内容でいいと長男は言う。アメリカに向かう飛行機の中で考えたが、なかなかまとまらない。

 何から何まで式場にお任せ、そして法外な料金を吹っ掛けてくる日本式と違い、V家の準備する結婚式は多くが手作りだ。式場に飾る花やプランターは、園芸好きのスンワンが一人で作っている。オーディオセットを借りるため、新朗新婦と付き合って近くの倉庫に出かけたが、道を間違えたお陰で、周辺の豪邸街をドライブすることができた。

 いよいよ結婚式当日。式場は車で十数分の距離。車で何度も往復して、機材やプランターなどを運ぶ。最後に正装に着替え、みんなで出かけた。純白のドレス姿となった新婦の可愛いこと。バカ長男の嫁にするのはもったいない気がする。

 まずは式場近くの公園へ行く。そこに写真屋が待っていて、ガチョウが優雅に泳ぐ池に掛かる橋の上で記念撮影。日本のように両家の家族親戚一同というのはなく、色々な組み合わせで、次々とシャッターが切られる。写真で見る限り、きっと優美な公園に写っているのだろうが、ガチョウの糞がそこらに落ちていて、足元要注意の場所だった。

 式場は古い屋敷を改造した、落ち着いて質素な建物。その昔ジョージ・ワシントンが立ち寄ったそうだから、相当古い。V家の親戚や新郎新婦の友人たちが集まり、総勢40名くらいのウエディングパーティーが始まった。

 新婦とジェリーがバージンロードを歩いて入場。続いて、介在人を立てた新郎新婦による結婚の誓い。V家は無宗教なので、介在人は牧師ではない。にやけっ放しの長男に、野次を飛ばしたいところだが我慢する。

 日本のように司会者はなく、ケーキ入刀も隅っこでヒッソリと行い、パーティーはなんとなく始まった。一応席は決まっていても、みな適当に席を立ち、会場のあちこちで会話が飛び交う。このまま続けば、スピーチはないのかと思いつつあったとき、シャンパングラスが配られ始めた。すると背後から長男が音もなく擦り寄り、そろそろスピーチを頼むと小声で告げる。

 ジェリーに締めの挨拶と乾杯の音頭を頼むことにして、私が先に話すこととした。緊張の一瞬・・・でもなかった。わたしはすでにワインを飲んでいて、パーティーの雰囲気も至ってインフォーマル。日本の結婚式のような張り詰めた空気がない。

 私は結構いい調子で、小学生時代をアメリカで過ごした長男が、いかにして今日に至ったかを話した。笑いをとるところで、みなに笑ってもらい、さらに調子付いた。終わった後妻に聞いたら、話が長すぎると言われた。

 その後二人の馴れ初めに関する種々のクイズが新郎新婦から出され、参加者全員で楽しむ。クイズを通して二人のことがよく分かるようにできていて、気の利いたやり方だと思った。私は最近、葬式や法事に出るばかりで、華やいだ結婚式の雰囲気を久しぶりに味わうことができた。

 参加者たちの祝福の嵐の中で、無事にパーティーは終わった。参加者の一部をホテルに送ったり、プランターなどを家に運んだり、また車で何往復もして、最後にV家に戻ったのは真夜中過ぎだった。最後に残ったジェリー、スンワン、そして妻と私。次男と甥は、ホテルに移っている。大変お疲れ様と挨拶して床につく。

 翌朝はさすがに、誰もが安堵の顔。V家の居間やキッチンはちらかり放題で、昨日の戦争のあとを物語る。ソファーに新婦のウエディングドレスが、脱ぎ棄てられていた。

 「もう着ることはないから、これをどうしよう」と、スンワンがぼやく。式の段取りを決めるところで、招待者の数を巡り、彼女と新婦の間で大もめがあったらしい。日本でもよくありそうな話であり、親子が交錯する風景は、いずこも同じなのだ。

 V家は数年前、長男を突然死(いわゆるポックリ病)で亡くしている。その長男は大学卒業を真近に控えていたそうだ。家には彼の遺影がいくつも飾られていて、家族はいまだにショックを引きずっているようだ。不幸の直後に私の長男が登場し、長女のボーイフレンドとして、一家に快く受け入れられた。V家の人たちは私の長男を、突然死した息子の生まれ変わりのように感じたのだろうか。

 V家にまつわる人間ドラマを噛みしめながら、わたしたちはV家を辞し、マンハッタンのホテルに移った。夜はV夫妻から、カーネギーホールのコンサートに誘われている。

 次男と甥は先に帰国し、妻とふたり、旅の最後の夜は摩天楼の一角にある寿司屋に入った。妻と「お疲れ様」の乾杯をする。結構高級な感じの寿司屋なのに、客のほとんどがアメリカ人だ。在米16年の板さんと話し込み、久しぶりに日本を味わった。「またちょいちょい来るよ」と言い残して、店を出た。

 黄昏の摩天楼を見上げる。寿司も板さんも、そして長男も、日本の文化や民族が、この巨大でエネルギッシュな国で揉まれ、そして生き続ける。日本は頑張っている。何だかとても幸せな感じがした。

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